师父法语
Words of Wisdom
我们在读经的时候,在听开示的时候,在拜佛的时候,在积资粮的时候,并不是非要有一个人一直在为自己解说:这个事情做完了再做什么,那个事情做完了再做什么。更多的情况下,是在启发我们的智慧,破除我们的无明。如果我们听了佛法,我们用功了,无明破除不了,烦恼依然是烦恼,就不是我们听经闻法的目的了。
我々はお経をあげたり、法話を聞いたり、仏様を拝んだり、善根功徳を積んだりする時、「この件が終わったらまた別の何かをやろう。あの事ができたら、また別のことを探そう」と自分に言い訳する必要はありません。なぜかと言うと、智慧を啓発し、無明を消すのが仏法行事の目的だからです。もし仏法を聞いて、努力しても、無明がまだ消えず、煩悩は煩悩のままで、何も変わっていなければ、それは仏法を学ぶ目的ではありません。
我们听经闻法,是为了让大家生起好乐心,生起对法的希求心,内心与佛法相应。而不是说让大家去接受一个说法师的概念,更不是说让大家来赞成、承许说法师的一个观念。
仏法に対する好みや希求する気持ちを生じさせ、内心を仏法と相応させるため、私たちは仏法を聞くのです。法師の概念を皆さんに受け入れてもらうため、さらに法師の観念に賛成させたり認めさせたりするためでもありません。
反过来说,我为大家开示的时候,不是要让大家来接受我的观点,不是让大家来赞成我的一些观念,重要的是我们在听的时候要有欢喜心、好乐心,内心能够开朗,无明得到去除。从自己学佛修行的心路历程上,同大家进行分享,让各位同修能够作为一种参照,更加容易趣入解脱道、菩提道,让内心更加有方向感,越来越笃定,越来越踏实,这才是主要的。
私の場合は、自分の観点を皆さんに受け入れさせようとはしないし、賛成してもらうつもりもないです。仏法を聞く時、重要なのは喜びや好みが生まれること、そして心が朗らかになり、無明が取り除かれることです。私自身の修行経験を皆さんに分かち合うのは、一つの参照として、皆さんを解脱道や菩提道(成仏の道)により入りやすくするため、また心がますます落ち着き、堅実で、目標を失わないようにするのです。これこそ大切です。
来源:学诚大和尚开示《苦乐人生》
Source:A Life of Cultivation — Transcending
Suffering and Happiness, by Ven. Master Xuecheng
翻译:北京龙泉寺翻译中心
Translated by: Beijing Longquan Monastery Translation
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